Novel
ヨハンナって誰?
九段の玉座へ、まだ名も知られていない少女が歩く。

やがて中廊下を抜け、視界が開けた。
大聖堂の中央には、天井から光が落ちる六角形の舞台がある。その先に玉座があった。九段の階段の上、金と白を基調にした、やたら立派な椅子。高くて硬そうな背もたれが、座る前から背筋を伸ばせと命令してくる。あれは絶対、肩が凝る。
どうして椅子って、偉くなるほど座り心地が悪そうになるんだろう。
大法官が立ち止まり、恭しく一礼した。
ここから先は、私ひとりで進めということらしい。
いよいよですか。
わかってた。わかってたけど。
……そういうの、先にもう一回だけ言ってくれてもよくない?
もちろん口には出さない。
さんざん練習もさせられたし。
私は裾を踏まないよう気をつけながら、階段に足をかけた。一段。二段。九段しかないのに、妙に長く感じる。視線が集まるせいだ。さっきまでだって十分すぎるほど見られていたのに、ここではそれがもっと露骨だった。観客席からも、要人席からも、玉座を見上げる角度で視線が刺さってくる。
さらし者みたい。
……ここで転んだら、どうなるんだろう。
裾を踏んで、盛大に転んで、全員に見られて。恥ずかしいにもほどがある。
でもそれで「やはり統治不能では」となって、遺言書が撤回されるとか。
……ないない。そんなわけない。
第一、この人数の前で転んだら、恥ずかしくて死ぬ。
ファマのいいネタにされてしまう。
それだけは絶対にイヤだ。
気を取り直して、私は一歩一歩踏みしめた。
ようやく頂上までたどり着いて、私は玉座の前で一瞬だけ息を整えた。それから、なるべく堂々と見えるように腰を下ろす。
……高い。
座って最初に思ったのがそれだった。見晴らしがいい、と言い換えれば聞こえはいいけれど、要するにものすごく目立つ。大聖堂の中が全部見える。ステンドグラスの光。列席者の頭。赤い布で区切られた区画。制服みたいに揃った礼装。遠くのほうで、誰かが咳払いを飲み込んだのまで見えそうだった。
女帝って、こういう景色を見る人なんだ。
……そんなこと、考えたこともなかった。
ふと、即位が決まった日のことを思い出す。
あの日、宮廷の外ではすごい騒ぎになっていたらしい。私は屋敷の奥に閉じ込められて、次から次へとわけのわからない説明を受けて、侍女たちに寸法を測られて、眠る暇もなかったから、直接はあまり見ていない。
でも、合間にこっそりタブラをのぞいた。
見なければよかった。
ファマの画面には、私の名前より先に、こんな言葉が並んでいた。
ヨハンナって誰。
誰それ。
なんでソフィア様じゃないの。
寵臣の子だろ。
寵臣カエサルが企んだ、世界を支配する組織の陰謀に違いない。
最後のは何言ってるかよくわからない。
でもそれ以外は、まあ、そうだよね、と思った。
だって私だって少し前まで、自分がそう言う側だった気がする。ヨハンナって誰、って。いや私なんだけど。少なくとも、国民が思い描く「次の女帝」の絵の中に、私は最初から入っていなかった。
有名でもない。表の行事にもほとんど出ていない。帝王学を受けていたわけでもない。寵臣の娘。宮廷の外から見れば、急に生えてきた子どもだ。
そりゃ不安にもなるか。
……でも、こっちだって不安だし。
その反応の中で、何度も名前を見たのがソフィアだった。
ソフィア様なら納得。
ソフィア様かわいい。
ソフィア様はもう受け答えもしっかりしてるのに。
……うん。知ってる。
いや、正確には、よく知らない。
ほとんど会ったことがないから。
でも、噂ぐらいは耳に入る。七歳とは思えない立ち居振る舞いをすること。人前でも物怖じしないこと。大人相手にもちゃんと話せること。しかもかわいいこと。最後のは政治と関係ないようで、たぶん全然関係なくない。かわいいは強い。あまりに強い。
母と皇配のあいだに生まれた、正統で、きれいで、誰が見ても「次の人」と思える妹。
それに比べて私は、なんというか、こう。
急ごしらえ。
玉座の肘掛けに置いた手に、少しだけ力が入る。
でも、ここに座っているのは私だ。
誰だって思われても、知らないって言われても、今さら玉座から降りて「やっぱり別の人でお願いします」とはできない。
だったらせめて、座っているあいだくらいは、それらしく見えないと。
背筋を伸ばす。顎を少し上げる。視線をまっすぐに保つ。
完璧な女帝には、たぶん一生なれない。
でも、それはそれとして。
たぶん今の私は、国中――いや、この場に居並ぶ各国の首脳からも、値踏みされている。
ヨハンナって誰。
その問いに、今日この場で全部答えられるわけじゃない。
でもいつか、ああ、ヨハンナか、と言わせてやりたい。
……できれば、もう少し好意的な感じで。