Novel

結界の儀と魔法

結界を支えるため、ヨハンナは自分の魔法を手放す。

結界の儀で目を閉じ、祈りの言葉を唱えるヨハンナ

祝言の儀が終わり、大法官が式次第を捧げ持ったまま一礼した。
次の案内に従って、私は玉座から立ち上がった。

重い。
重すぎる……

帝冠の重みは慣れるどころか増していて、立ち上がった瞬間、頭が思っていたのと違う方へ行こうとした。ぐらり、と上体が傾く。とっさに足を踏ん張って、止めた。

今、私すごい顔にならなかった?
ハッとした。

階段の脇で、侍従がほんの少しだけこちらへ手を伸ばしかけて、やめた。

……見られた。

なんでもない顔をする。なんでもなくはなかったけれど。

私は一段ずつ、頭に気を使い、足元にも気を使って慎重に階段を下りた。

玉座の下、六角形の舞台の中心に、国章が描かれた部分に立つよう促される。

その間にも、大聖堂の中が動いていた。

大神祇官をはじめとした帝国の魔法士たちが、六角形の各頂点に静かに移動していく。白い礼装に金の帯。それぞれが両手を胸の前で組み、目を閉じた。帝都の各地に配置された魔法士たちも同じ構えをとっているのだと、事前に聞いた。帝国内の主要都市にも連絡が届いていると。

全部がつながっているらしい。

私ひとりが、六角形の舞台の中心に立っていて、帝国の全部がここに集まってくるような感じがした。

そこにふと目が合った。

大神祇官だった。白髪の老人で、声がよく通る。
何も言わなかった。視線が一瞬だけ重なって、それだけだった。表情そのものは動いていない。でも、なんか見透かされてる気がした。

この人は、何かを見定めるような、あるいは人の反応を楽しむような目をする。
怖いのか、優しいのか、全然わからない。

——この人、何を考えてるんだろう。

そのまま、視線が外れた。

……こういうのは、苦手だ。

仕組みは一応説明してもらった。女帝の血に流れるオドと、帝冠に宿る力が結びつくことで、結界の礎が生まれる。後は帝国中の魔法士たちがそれを広げ、維持する。象徴的な儀式ではあるけれど、女帝のオドが本当に使われるのだと言っていた。

ここまでは、なんとなくわかる。

問題はその先だ。

この儀式を行うと——私は、魔法が使えなくなる。

正確には、個人として自由に魔法を行使する力が失われる。オドが結界の礎に結びついてしまうから、個人の術として切り出せなくなるらしい。難しいことはわからないけど、つまりそういうことらしい。

これが一番嫌だった。

魔法は、使えた。上手いとは言えなかったけれど、光を灯したり、小さなものを動かしたり、それくらいは普通にできた。特別な力じゃない。でも、自分のものだった。

それが、今日を境になくなる。

別に魔法がなくても生きていけるのはわかっている。女帝という立場上、使ってもらえる人は周りにいくらでもいる。

でも。

……まあ、しょうがないか。今さら言っても変わらない。

静寂が落ちた。

全員が位置についている。大聖堂の空気が変わった。音のない緊張感が、壁と天井の間に満ちるような。

私の番だ。

何度も練習した言葉を、口の中で一度だけ確認する。古い言葉で、意味は半分もわからない。でも発音と順番は叩き込んだ。

息を吸って、声を出す。

「——Lux pura, custodi has terras ab omni pollutione.」
(ルクス、プラ、クストーディ、ハス、テッラース、アブ、オムニ、ポッルーティオーネ)

大聖堂に、声が広がった。

大神祇官が応えた。続いて六頂点の魔法士たちが重なる。同じ言葉が六方向から返ってくる。

「Lux pura, custodi has terras ab omni pollutione.」

……思ったより、響いた。

練習のときは自分の声だけだった。こんなふうに返ってくるとは思っていなかった。

次が、最後の言葉だ。

「——Lux fecunda!」
(ルクス、フェクンダ!)

一瞬の間があった。

それから大聖堂中の声が、重なって返ってきた。

足元から、熱でも冷気でもない何かが這い上がってくるような感覚があった。

光が広がった。

最初は六角形の頂点から細い線として伸び、次第に面になり、大聖堂の天井まで白い膜が張られるように満ちていった。ステンドグラスの色が光の中に溶けて、大聖堂全体がひとつの色になる。どこかで低い音が鳴っていた。鐘なのか、それとも結界そのものが立てる音なのか。

私は、ただ立っていた。

じわじわと、何かが抜けていく感じがした。

大きくはない。痛みでもない。ただ、今まで自分の中にあったものが、静かにどこか遠くへ、少しずつ流れていくような——

しばらくのあいだ、光は続いた。

やがて、収まった。

大聖堂に沈黙が戻った。それからすぐ、どこかで誰かが息をついた。ひとつ、ふたつ、と続いて、会場全体が少しだけほぐれた。

大神祇官がこちらに深く頭を下げた。

私はその礼を受けながら、胸の中をそっと確かめた。

……ない。

あったはずのものが。

わかってはいたけど……。